これが高校サッカー?先輩からのプレッシャー

衝撃的な始まり

僕の入ったサッカー部では、新入部員は学校の周りを100㎞走るという恒例行事があります。1周が1㎞あるので、1日10㎞走り早ければ10日で終わる計算です。受験勉強で鈍った身体を元に戻し、練習に励めるようにやっているらしいです。走りが終わり、いよいよ練習が始まります。人数が多いためAチームとBチーム別れて練習をします。ある日、僕を含めた3、4人がAチームの練習に呼ばれました。そこで衝撃的な光景を目にします。3年生から1年に対する圧力が尋常じゃありませんでした。先輩がボールを持っている状況で厳しいディフェンスをしようもんなら、怒られそうな勢いでガンを飛ばしてきました。初めてと言うこともあり僕の勘違いや緊張からそう思ったのかもしれないと思いたかったですがそうではありませんでした。

ある日、全体の人数が少なかったためAB別れずに全員で練習がありました。そこで決定的なことが起こりました。また、1年のある選手が先輩に対してディフェンスしに行くと、先輩はドリブルを辞め「はあ?、深く来てんじゃねえよ」と一言。GKをやっていた僕はポカーン・・・。狭いグリットでの練習だったので、全体もそれを感じ取ったのか空気が一気に重くなりました。「これが高校サッカーか」。これがはじまり。

早すぎる引退

その後、最初の様なあからさまなことを言われることはありませんでしたが練習の空気は異様でした。やってて楽しいのかな?と疑問に思っていました。GKの先輩は2人いて、その2人は優しく、気さくで良くしてくれました。ある時、3年生は仲が悪いという話を聞き僕は納得しました。あの練習の空気はそういうことかと。僕たち1年は早く引退してほしいそう話していました。そんなことを言っても3年生は上手い人が多く、レベルが高かったのは間違いありません。しかし、高校最後の大会の予選で負けてしまい夏には新チームになりました。

僕はまずこのチームを大きく変えたいと考えました。仲良しサッカーをやるために入部したわけではありません。幸か不幸か同じ1年は個性の強い仲間がいて、サッカーの技術自体も比較的高い選手が揃いました。3年生が抜け殺伐とした雰囲気はなくなりましたが2年生には2つ別の問題がありました。1つは、3年生に比べ技術レベルが低かったこと。県立の学校だったので必ずしも上手い選手が集まるわけではないし、代にこだわる必要はないと思っていました。問題は2つ目です。2年生は普段から仲が良く、優しいのですが部活の時間になってもその雰囲気が抜けません。僕が1番嫌いだった仲良しサッカーをする選手が過半数を占めていました。後輩だって関係ない、自分たちが自分が引っ張っていくんだと決心しました。

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俺たちの代

年が変わり次のシーズンが始まりました。切磋琢磨し、試行錯誤した結果リーグ戦では過半数が僕たちの代が出ることになっていました。チームを変えるつもりで毎日過ごした結果、大会の県予選では過去最高の成績を残すことが出来ました。キャプテンには苦労をかけてしまいました。口を挟む後輩、いうことを聞かない後輩がいる仲僕たちに不平不満を漏らすことなく最後まで務めてくれました。僕のブログなんて見ないでしょうが感謝しています。そしてごめんなさい。

時間が経つのは早いもので、僕たちが1番上の学年になった時絶対に結果を残すと意気込んでいましたが昨年の結果を超えることは出来ませんでした。キャプテンとしてチームを100%の状態に出来なかったことは本当に申し訳ないです。具体的にチームをどう変えたのかはこの記事で。

naokiblog.hatenablog.com

 

『もちろん僕の高校サッカーは楽しかったです!』

 

 

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